2005-01-22

次元を貫く情報

重力波が宇宙のどこかで生じれば、空間のゆがみとなってわれわれの地球にも伝わるはずだ。これは、宇宙が閉じた系であるという前提を記述したからで、そのコンテクストを外部から鳥瞰するには外部からの情報がこの宇宙に到達しなければ不可能だ。はたして、情報は来るのか。あるいは来ているのか。あるいは既に来ていたのか。わずかな差異も見逃せば永久に謎となってしまうであろう。

2005-01-21

知覚の統制

覚醒した知覚は常に現実という規制によりチェックされているが、夢は統制を受けていない。外的刺激を受けない世界はひとつの閉じた空間だ。これを客観的に見ることのできる観測者は、外部にいる。卵子が受精する瞬間、その位置は外部からの全く新しい情報となる。分割はここにはじまる。

2005-01-10

ヒヨドリ

マンションのベランダにすずめ(ビタキ)がよくくる。ちぎって置いたパンくずなどを見つけると2~3羽が食べにくる。
人間が近づくと逃げるけれども、物陰からじっと見ていると時には親子で食べに来ている。
平和に食べているのをじゃまするのは、ヒヨドリ。やかましいし、いじわるだ。だから、我が家の家族はヒヨドリがきらいだ。

龍のひげ


龍のひげ
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京都城南宮の新しくなった庭園で「龍のひげ」(お市の目玉)を見つけました。青い実がついたところはここだけでした。昔はよく見かけましたが、最近見かけなかったのでなつかしく思い、カメラに収めました。

2005-01-06

科学的態度


大きなコンテクストが小さなコンテクストに及ぼす影響は無視して考える、少なくとも、それについて考えるのは後まわしにする。・・そうやって問題を単純化するのがよいのだという態度をわれわれは科学的態度として教え込まれている。


そこでは、観察者と対象が分離されている。複雑性の縮減が推奨されているというわけだ。


捨象される漠とした関係性、大きなコンテクストへと階層を一段上がったメタ・テクストへと遡行していく関係性の連鎖が科学的態度では無視されている。


2005-01-05

認知バイアス

このたびのインドネシアの巨大地震で動物が危機を免れていた、或いはゾウが事前に津波を察知していたという報道に接し、このようなこともあるのかと職場で話題にしたら、それは「認知バイアスだ」と解説された。言葉の正確な意味を知らなかったのでここで確認して公開しておく。この報道をどう読むかはまさに読者にかかっているといえる。

2005-01-04

正月の風景

正月、しめ飾りをつけている車はごくわずかになってしまった。我が家の住んでいるマンションでは駐車場15軒の自動車すべてしめ飾りなし。3が日で外出時すれ違う車に1台だけ見かけた。一方、門松は一般の家では見かけないが、神社、小売店などで立派な門松はいくつか見かけた。もはや個人の家で門松をたてて正月を祝うという当初の意味はうすれて商業主義の神社や小売店の客寄せツールになってしまったようだ。そういう意味では年末のクリスマスツリーと同じかな。ほとんど正月ということの意味をなしていない。どんどなどもつながりが断ち切られている。米作の歴史は忘れられようとしているともいえるだろう。

2005-01-03

初詣

今日は春日大社へ初詣にいった。神木の前で記念撮影。


050103-kasugataisha
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2005-01-02

京都植物園にて

京都植物園へ行ったときに見かけた名前も知らない美しい花です。目の前にぶら下がっていたので思わずカメラを向けました。
at kyoto botanical garden
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2005-01-01

音楽


音楽は反復だ。その中には同じクラスの中での同一性の確認がある。繰り返し、繰り返し同じことを確認する。そういった意味でモーツアルトに見られる変奏の繰り返し、ビートルズがインド音楽から学んだリフレインは核心に触れる音楽という気がする。すばらしい音楽は例外なく繰り返しが見られる。


初鶏の気合


友人からの年賀状で「五十路終盤初鶏の気合受く」というすばらしい句に出合いました。



身も心もリフレッシュして新年を迎え、今年こそよい年にしていきたい、気合を入れて鶏にまけずに時を告げたいと思います。